とどめの女子大生日記

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お釈迦様、血の池に蜘蛛の糸を垂らしてください。

部屋にまあまあな大きさの蜘蛛が出た。

あんな大きさの蜘蛛初めてみた。

手足がすごく長くて、ぜーんぶバラバラに動いていることがわかった。

蜘蛛は殺したらいけないと何かで聞いたことがあるが、申し訳ないが同居はできない。

家賃を払っているのは私の両親なので、不法侵入者として、死刑。

 

殺虫剤を出して来て、スプレーを吹きかけるが、すごい速さでどこかへいってしまった。

カーテンの中に入っていったような気がするが、カーテンをめくった途端私に飛びついて来たりしたら、パニックだ。

しばらく息を潜めて蜘蛛が出て来るのを待った。

蜘蛛、窓の上の方に堂々の登場。

こうなると、どっちが住民かわからなくなってくる。腹がたつ。

しかも、殺虫剤を吹きかけると、窓の上の方を右へ左へ動き回り、蜘蛛よりも私の方が多く殺虫剤を浴びている。

蜘蛛が死ぬのが先か、私が死ぬのが先か。

 

ここで私はふと、

『この蜘蛛、死んだらどうなるんだろう』

ということが頭に浮かんだ。

天国に行くとか地獄に堕ちるとかそういうことじゃなくて、シンプルに私の部屋の床に落ちることになる。

え、ほんで?

死んだ蜘蛛を、私がティッシュで摘んで捨てる……?

無理。

こんな大きい蜘蛛、ティッシュ越しでも無理。

 

一人暮らし、特に困ったことはなかったが、最大のピンチだ。

今までは家族が殺すのを側から見守っていた。

まさか自分が虫を殺すことになるとは考えてなかった。

同居人がいれば、私が殺すことになろうとも、キャーキャーと盛り上がったり、殺虫剤を撒く担当と窓を開けて追い出す担当のように、協力して退治することができる。

1人で蜘蛛と対峙しているという事実が耐えきれない。

私は巷でよく聞くゴキブリも見たことがない。

蜘蛛でこんなに怯えているのに、飛ぶ、走る、ゴキブリだとどうなるのだろうか。

 

なんとかタイミングをみて窓を開けて、蜘蛛を追い出すことができた。

殺虫剤で蜘蛛も私も死ぬことはなかった。

これで今夜も安眠。

布団に入って気づいたが、歯が痛い。

気づかないうちに奥歯を噛み締めていたのだ。

蜘蛛に対する敵対心から奥歯を噛み締めていたのか、一人暮らしの寂しさを噛み締めていたのか。

 

 

母の掌で踊らされる

母から荷物が届いた

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これらとお米だった。

 

上の食べ物類は、誰も私の好むものと生活で必要だなと思っていたものだ。

しかも、それぞれ売っているスーパーが限られており、地域のスーパーを巡って買ってくれたことが伺える。

 

下のバッグはなんかよくわからない。

一人暮らしで自由を謳歌する私への何かしらのメッセージだろうか。

しかし、よくよく考えてみると、最近どこかでこのイラストを見たことある気がする。この既視感はなんだろう。

 

 

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ショートメールの100文字以内という制限で、バッグについては触れることもなく。

I'm freeも、イラストに対する既視感も非常に気になる。

さらに、母の精一杯らしいところが気になりを増加させる。

4月から独り暮らしを始めて、初めて私から連絡をしてみようかなと思った。

 

神様がサラリーマンと仮定して

私は顔が整っていない。

非常に残念だ。

どれぐらい残念な顔かというと、小学二年生の時、庭で三重跳びの練習をしていると、父親が『ブッサイクだなぁ』と、真剣に、誰にいうでもなく呟いたレベルである。

 

顔が綺麗な人は得をして、そうじゃない人は損をするという社会構造が顕著になり始める中学生・高校生で、私の神様への恨みがピークに達した。

 

例えば神様が9時から17時まで、1日100体人を造らないといけないとして、顔が整った人は、神様がまだやる気に満ち溢れた午前中、 丁寧に時間をかけて造形されたのだろう。

逆に、私のように顔が残念な人は、神様も残業が嫌になった21時ごろ、あと20体ぐらいノルマが残っていて、とりあえず目と鼻と口を流れ作業で配置したのだろう。ピザの具を乗せるのと同じ要領だ。

造形の時点で顔が残念な人は既に理不尽な扱いを受けている。

 

 大学生になり、お化粧をするようになったのと、みんなブサイクに対する対応が大人になったので、理不尽な思いをすることは少なくなった。

『20歳の顔は自然に与えられたもの、30歳の顔は生活が形づくるもの、50歳の顔は、あなたが手に入れるもの。』

とココシャネルも言っている。

負け惜しみを言わせてもらうと、顔が綺麗な人よりも少しだけ理不尽に強いので、30歳には顔が綺麗で理不尽に強い女になりたい。

 

 

 

 

怒られるうちが華

高校3年生ぐらいから、怒られなくなった。

私の母は私を小さい時から怒り飛ばしていた。

だから私は怒られ待ちをしてしまう。

私がいい子になったわけではなく、私に希望がなくなってしまったからだと思う。

母は私にいい子になって欲しいという希望があったから怒っていたんだと思う。怒ってももう直らないと、希望を捨てたんだと思う。

 

生まれて初めて寝坊した。

朝寝坊ではない、昼寝坊だ。

午前の授業を終え、一度帰宅し、昼食を取り、満腹になり、夕方からの授業まで少し休もうと思ってベッドに横になったら授業開始の時間に目覚めた。

今まで寝坊なんてしたことがなかったのでそれはそれは驚いた。

寝坊して起きたら、まず何からしたらいいのかわからなくなるということがわかった。

 

とりあえず家の鍵を閉めて陶芸の授業に行った。

今日は前回作った作品が返却されるはずだった。

前回私が作った作品はたまたま綺麗に模様が出ていて、先生が褒めてくれた、気に入っていたお茶碗だった。

急いで陶芸の教室に入ると、もうみんな前回の作品を返却してもらい、今回の作品に取り掛かっていた。

私も作品を返してもらおうと思い、作品が置いてある棚に行くが、作品がない。

同じ班の友人に聞くと、さっきまで棚に置いてあったし、先生が返却の時に褒めていたから確実にあるはずであるという。が、なくなっていた。

茶碗の裏にはサインがあるから、よく見れば間違えるはずはないのだが、みんな同じようなお茶碗を作っているので、誰かが間違えて持っているのだろう。一人一人確認してもらったし、同じ班の人たちも一緒に探してくれたが見つからなかった。

 

バチが当たった。

私が寝坊したがばっかりに気に入っていたお茶碗は返ってこなかった。

寝坊した私が悪いのに一緒にお茶碗を探してくれた同じ班の人たちにも申し訳ない。

 

怒られなくなってしまった今、こういう痛い体験で自分を律さなくてはならない。

怒られる方がマシだった。

二度と寝坊はしない。

 

憧れの大人

レポートやらテストやらが重なり、久々にブログを書く。

日記とは違って、毎日書かなくても罪悪感がないのがブログの良いところだと思う。

しかし、ブログを書く余裕がないほど忙しいということは、ブログに書くに値する事件がたくさん起こるということだ。

 

教授の研究室に初めて伺った。

大学の制度や雰囲気がまだイマイチ掴めていない1年生の6月、研究室は近寄りがたい。あの中では何が行われているのか、とって食われるんじゃないかという不安でいっぱいである。

さらに、私が訪ねた研究室の教授は、愛想が良い感じでもなく、如何にも大学教授という感じの偏屈さだ。

アポを取る時から蕁麻疹が出るレベルで神経を使い、研究室を訪ねる日はデスマッチに参加する心持ちで胃に穴が空きそうだった。

 

いざ決戦の日

研究室のドアは全開だった

そっと中を覗くと、先輩たちと教授が談笑していた。ゼミ終わりのようだ。

教授と目があった。

「おはいりなさぁぁい」

あれ、こいつ、こんなキャラだったっけ。

 

教授はとても優しかった。

気さくだった。

デスマッチとか言っていた前日までの私をぶん殴りたい。

 

違う用事で研究室を訪ねたのだが、

教授『君は面白いね、来週の月曜のゼミ、ついておいでよ。フルコマ授業?英語があるから休めない?英語ぐらい僕が教えてあげるよ、授業よりゼミの方が面白いから来なさい』

三四郎の佐々木与次郎かと思った。

 

 

帰り際、

『あなたはお家は遠いの?近く?それは良かった、暗くなる前に帰りなさい。』と言われた。

生まれて初めてジェントルマンに出会ったなと思う。

 

教授は黒のミンティアをボリボリ食べていた。あんなに辛いのをそんなに食べて、胃に穴が開かないか心配だ。

教授はお煙草を吸われるのだろう。

しかし、教授はいい匂いがした。

奥様がきちんと柔軟剤を効かせてお洗濯なさっているのだろう。

左手の薬指に指輪をはめている。

教授に対する勝手なイメージが抜けないので申し訳ないのだが、邪魔だからといってぽろっと外してうっかり無くしそうな教授なのにちゃんとつけているあたり、愛妻家なのだろうなと思う。

 

知識と教養がある。気さく。ユーモアがある。優しい。

私も教授のような大人になりたい。

授業中に真剣にブログを書いているあたり、精進が必要だと思う。

 

ポジティヴイメージ

ポジティヴになりたい。

私は天性のネガティヴだ。

 

どれぐらいネガティヴかというと、小学四年生の時にクラスで一番モテていた男のから言われた傷ついた言葉を定期的に思い出しては傷つき直すレベルだ。 

 

傷つくことがなかった、とってもいい1日だった、という日も、このように、バックナンバーを引っ張り出してきては傷つく。

そして、傷ついたことに対して、私の言動に問題があったと、なんども反省を繰り返す。

 

反省するからと言って、日々の暮らしに生かされるわけでもなく、また自分の言動で起こった問題に対する他人の反応で傷つく。

 

ポジティヴだと、簡単に解決して、簡単に自分を成長させて、簡単に忘れてしまっただろう。

人生イージーモードだ。

 

また、私は、本名が「陽子」と同系統なイメージの、ポジティヴが連想される名前である。

ネガティヴな私はどう考えても名前負けしている。

 

いろいろ言った方が、なによりもポジティヴな女子はかわいい。

明るいし、喋りやすい。

例によって名前負けしている私は、初対面の人からは勝手にポジティヴなイメージを持たれているので、皆様のご期待にお応えできるように、ポジティヴ女子を演じている。

仮面ポジティヴは相手ににバレていると思う。

ネガティヴだからそう思う。

夢で会えたら

死んだ祖父が夢に出てきた。

でも、今回初めてちゃんと死んでいた。

今までは生きている祖父が夢に出てきていた。

夢では会えたのに。

もう会えないのかもしれない。

 

祖父は昨年の夏に亡くなった。

それから今回を合わせると4回、夢に出てきている。

 

1度目は、祖父にアイスをもらう夢だった。

祖父が立ち上がろうとしていたので手を差し出すと

「自分のペースでゆっくり立ち上がらんと、危ないけ」

と言って断られる夢だった。

この状況は、祖父が生きていた時、実際に体験した状況だった。

夢の中の祖父は、冷凍庫に行き、なぜか

「○○ちゃん、ありがとう」

と言いながらアイスを渡してくれた。

 

2回目は、祖父が私の実家に来ている夢だった。

家の近所の公園にいると、車に乗った祖父が来て、私はすごく驚いて

「え⁈おじいちゃん‼︎来るなら言ってよ‼︎部屋片付けて来る!」

と、走って家に帰る夢だった。

祖父は一言も喋らず、ニコニコしていた。

 

3回目は、なぜか祖父の家に梅の花びらが入って来ていて、窓際に座った祖父に

「こんなの、本来あったらいけんことじゃ」

と言われる夢だった。

 

そして今回の4回目はは、母と祖母と買い物に行き、母が、

「こんな便利なちゃんちゃんこがあったんじゃ、おじいちゃんに買ってあげればよかった」

と泣く夢だった。

 

1回目と3回目は、祖父がいつもいた部屋とは別の部屋で祖父と会話した。

後日、祖父の家に行って驚いたのだが、その別の部屋に祖父の仏壇が置いてあった。

 

祖父が死ぬ前、私は祖父に会いに行かなかった。部活やAO入試を理由にしていた。

亡くなる3日前、祖父に電話をかけると

「あんた、忙しいんじゃろ、頑張りんさいよ。」

と言われた。

今まで、祖父は

「よぉ頑張ったね」

と褒めてくれたことはあったが

「頑張りんさいよ」

は言っていた記憶がない。

というのも、祖母が私に頑張れと言うと、祖父は

「○○ちゃんは頑張っとるわいね、プレッシャーかけんさんな」

と言っていた。

 

私は今でも、祖父から聞いた

「頑張りんさいね」

を、頭の中で鮮明に再生できる。

 

祖父に会いに行かなかったことをすごく後悔している。

なので、我儘を言わせてもらうと、夢の中で生きている祖父に会い続けたい。